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キツネ型タイムカプセル

子どもの頃の記憶をネームにしてみる。案外と視点が今と変わらない。


そういえば、6歳くらいのときに、キツネのキーホルダーを買ってもらった。願い事を書いた紙を丸めて、キツネが背負ってる筒にそれを入れておくと願い事が叶う…というもので、ファンシーなキツネに黄色い蓄光塗料が塗られていた。暗闇でぼんやり光る笑顔のキツネは、ちょっとおいなりさんぽかった。


数十年後、このキーホルダーを実家で発掘した。願掛けの内容は何だったかな、と紙を広げてみると、消えかけた鉛筆の文字で「こころのきれいなひとになりたい」と書いてあった。なりたい、ということは、願掛けを書いた時、ココロがきれいじゃない自覚があったのだろうか。


そこからさらに記憶をさらうと、通っていた幼稚園では、食事の前にお祈りをしたり、他者に思いやりと優しさをもちましょうと習ったりしたんだった。で、一部の園児の間では、思いやりが無さ気な言動を見つけてマッハでダメ出しを投げ合う…という、あまり思いやりの無い現象が起きていた。

ダメ出しを受けた当時はかなりぎゃふんと感じたけれど、あれはあれで、ドッチボールとか乾布摩擦みたいな効果が…いや、効果はなかったかもしれないけれど、今思い出すとちょっと面白い。


何はともあれ、思い出した場面を描いてみる。なんとか進めるぞー。














引用補強ドリンク

投入:


引用A

“人間は、正本に対して、つねに異本をつくろうとする。Aのものを読んで、理解したとする。その結果は決してAではなく、A'、つまり異本になっている。文学がおもしろいのはこの異本を許容しているからである。”


引用B

“忘れ上手になって、どんどん忘れる。自然忘却の何倍ものテンポで忘れることができれば、歴史が三十年、五十年かかる古典化という整理を五年か十年でできるようになる。時間を強化して、忘れる。それが、個人の頭の中に古典をつくりあげる方法である。そうして古典的になった興味、着想ならば、かんたんに消えるはずがない。思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である。


引用C

“書き出したら、あまり、立ち止まらないで、どんどん先を急ぐ。こまかい表現上のことなどでいちいちこだわり、書き損じを出したりしていると、勢いが失われてしまう。

全速力で走っている自転車は、すこしくらいの障害をものともしないで直進できる。ところがノロノロの自転車だと、石ころひとつで横転しかねない。速度が大きいほどジャイロスコープの指向性はしっかりする。

いかに論文だからとは言え、書いては消し、消しては書くといったことをしていれば、何を言おうとしているかわからなくなる。一瀉千里に書く。とにかく終りまで行ってしまう。そこで全体を読み返してみる。こうなればもう、訂正、修正がゆっくりできる。〟


A〜C : 外山滋比古『思考の整理学』



引用C '

“今夜の春雨スープはビューだよビューだよほら!”

花輪和一刑務所の中



郵便局でお年玉と漫画と絵本を発送。

ともかく描くのみ(マッハで!







MARIO RUN 走れ!白球を追って

腕組みしてても未来は開けないので、MARIO RUNで少し遊ぶ。


マリオがどんどん走るので、コインを取り損ねる。じゃあコインをもっと集めてみようかと、右往左往して集めていると、時間切れでゲームオーバーになる。おいらの半生のように……


半生はさておき、ゲームが下手すぎるおかげで無料のまま長い期間遊べてしまう。ちょっとうれしい反面、光の速さで有料ゾーンの手前まで進んで憤ってみたかったなとも思う。ゲームは難しいぜよ。


〝走れ!白球を追って  君の世界は正常に機能しているか?〟

と言ったのはソカベ君だったっけ(よしもとよしとも著「Jr.」内のセリフ)

ここで言う正常、っていうのは、なんだろう…煽りとしての「正常」なのか、それとも。


いろいろ分からなくなると「じゃあそのあたりはひとまずロックということで!」と一旦まとめたくなる。ギターもベースも弾けないけど、気持ち的なアレで、弾みをつける的な。


正常な機能、についてAIのりんなさんに聞いてみたら柔軟な回答がきた。つワ!

うん、少しストレッチして寝よ。

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空回りから本回りへの千里の道のり

寒中、先輩のお母様にお会いする。お母様いわく、先輩は私を理解してるわよ、と。理解してくれているのは嬉しいなあ、と思ってその内容を教えていただくと、「繊細で空回りしてる感じ、って言ってたわよ」とおっしゃるのでガビーンとなる。


友人にそれを話すと、「繊細ではなくて弱い感じ。空回りは合ってる」と言われ、さらにズーンとくる。


理解してくれている先輩は、漫画を描きはじめてから、色々教えてくれた恩人。

同人誌を作って売ったり、漫画の持ち込みに行って凹んだりしていたけど、とにかく漫画を今よりどんどん描いていたし、結果はともあれ人に沢山会って動き回っていた。


先輩はいつも応援してくれていたけど、活動の仕方や漫画の内容をみて、思ったのだろう。

あーこれは空回りしてるなぁ と…


その場で指摘しなかったのは、先輩の優しさだったのか、いつかは空回りから本回りに変化すると思って見守ってくれていたからなのか。


そうこうするうちに空回りは止まり、カタギになれるかジタバタと動いて(これも空回りか、) やはりカタギになれる器じゃないと痛感して、また空回りからスタートしている。


いつになったら本回りになるのか、ペダルに足をつけてこいで目的地に向かえるのか。


同い年くらいの友人知人は、もう野を越え山を越え、ずいぶん遠くに行ってしまった。そういうのは比べるものじゃないよと言ってくれる人もいるけど、ずっと空回りなのが良いこととは思えない。


どうしたものか、と考えること自体も焦りを含んだ空回りで進まない。


とりあえず、今自転車を持っていないので、まず自転車を入手しようと思う。その前にお年玉を渡しに行こう。色々不義理をしているのを、少しずつなんとかしよう。


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空回りの例:塗り絵で陰影の練習をする等。描かなきゃだめだ、己の絵の下手さを直視するんだ。俺よ。

発想を転換するためにスプーンを使ってみる

ノンフィクション寄りのフィクションが描きたい…というより、よくよく考えたら自分はそれしか描けない。アタマが固いのかもしれない。


ここはひとつ、スプーンで発想を転換できないかな、と試してみる。


スプーンで出来ることは何か。

よくあるのは、片目に当てて視力検査。小学校で給食の時間、何度かやってるのを見たなぁ。


もう少し大人寄りだと、スプーンの先のプリンとかをすくう部分を、水耕栽培の人参や大根を植える器にするとか。いやこれはだめか、サイズ的にも安定面からみても無理があるし、特にお洒落にも見えない。


1本で考えるとむずかしいので、3000本に増やしてみる。スプーンがもったいない、というか予算的にアレなので、錆びたスプーンのみ集めることにする。

スプーンの柄をワイヤーでくくって、100本1列、30段つなぎにする。カーテン状になったら、これを窓の外や勝手口の外に吊るすと、防犯カーテンになる…開けようとするとジャラジャラなるし、見た目もややお洒落じゃないだろうか。


穴の空いたスプーンとかけまして、怠け者の漫画家とときます。そのココロは。すくいようがありませぬ。

…いやいや、液体じゃなければ、穴が空いてもいろいろすくえるか。豆腐とかスイカとか。


いっそスプーンを匙ペン代わりに、カレンダーの裏に何か描いたら、偶然いい絵が描けたりするんだろうか。こんど試してみよう。










孔雀 Away with words 三条人

自分探し、というか自分整理の旅、そんな感じの映画で。スクラップブックを作るとか、コラージュで絵葉書を作るとか…寝ている間に記憶と感情を整理するのが夢って言うじゃないですか、そんな感じの。

 
浅野忠信が演じるアサノという青年が旅をするのですが。映画の時間軸では、リアルタイムに旅しているのは香港。そこから遡って、子供のころ暮らした沖縄の海。同じく子供のころ旅した浅草の花やしき。大人になり仕事をした東京の倉庫。
リアルタイムではないけれど、人生を旅と捉えるならば、過去に過ごした場所はどれも旅先で。生まれてから香港のBARに至るまで、ずっと続いている旅の中で、アサノ青年は整理し続けるわけです。記憶を。
 
その整理の仕方はちょっと独特で、例えばAという物体を見たとき、Bに置き換えて認識してから記憶する。例えるなら、テスト勉強をしているとき、語呂合わせで覚えたりする…水兵リーベ僕の船、とか。覚えにくい情報を何とか覚えるために、なじみやすいイメージに置き換えて記憶する感じ。
 
そういう語呂合わせのような認識の仕方を、アサノはテスト勉強ではなく、小学生のころから日常生活の中で用いていて。牛乳配達の道順、予防注射の痛みなど…子供時代のアサノにとって、それを覚えておくことで危険に対する防御になるもの…衝撃に対するクッションになるような事前の予備情報を、自分の感覚に沿った変換方式でインプットしていく。
 
大人になって仕事をしたときも同様で、アサノは独自の変換方式で仕事をこなしていくわけです。トマト缶1kg=ベルリンが犬kg、とかそんな方式で。今挙げた例は私が真似てみた変換で、アサノ式の変換はもっと独特で込み入ってます。
 
そんな込み入った回路なので、数十年経つとどこかに負荷がかかってきて、一旦リフレッシュというか冷却というか、フル回転している働きを落ち着かせる必要がでてくる…そこで香港。アサノは日本語の通じない土地へ行き、広東語と英語に囲まれて、青いソファー(アサノ変換では、孔雀の匂いがする椅子)でようやく人心地がつく…ソファーは大きなクッション=情報が飛び交う中で生き抜くためにアサノが編み出した記憶の変換方式のようなクッション、でしょうか。
 
香港で出会ったケヴィンは、いつも酔っぱらって、警官にちょっかいを出しては追いかけっこに持ち込んでる。寂しがり屋なのか、退屈が苦手なのか…ケヴィンはまたアサノと違う回路で、人生を自分にとってより生きやすい形にする工夫を凝らしていて、そのやり方は時に周りにいる人々に迷惑をかけるのだけど、少しずつ迷惑をかけることでガス抜きをしているような安心感がある…、といってもそのやり方は、周りにいる人々の優しさがあって可能になっているわけで、ケヴィンを支える支柱みたいな友人がいて。それがスージー。二人の間に恋愛感情はなく、ケヴィンはアサノにちょっかいをかけたりしてる。
スージーはとても優しい女性で、泥酔したケヴィンを迎えに行ったり、ソファーに沈み込み何やら異国語でブツブツつぶやいているアサノに声をかけて落ち着かせたり、お母さんというかお姉さんというか。スタイリストの仕事をサクサクこなし、こなしながらもケヴィンとアサノをサポート。優しいっていうことは強いってことで、スージーは強いなぁと思うわけです。できることなら私はケヴィンかアサノでいたい…なんてぼやいていても仕方ないので、間をとってケヴィン+アサノ+スージー÷3で生きてゆきたい…そう、つまりこの映画を観るとどこか遠くへ旅に出たくなるわけで、そんな感じで。

 

孔雀 デラックス版 [DVD]

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レモンとライムの話

レモンとライムの話

http://memo.tadareiko.com/?eid=1223565


およげ!たいやきくんの歌詞の厭世観について考えていたら辿り着いた短編。ラストの野心的(?)な現実感に励まされる。謝謝。

あまり先を考えすぎず、まずはともかくやる気だ。やる気だ。わわわ。