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文章だけならいくらでもキャラクターがつくれる説

いくらでも、というのは多少かなり誇張が入っていますが。


というこの一文だけでも、

『いくらでもっていってもさー、それってちょっと違うっていうか、その時の気分でテキトーに吹いてる感じっていうか、まあ適当に言ってみてるんだけどさ』

とか

『幾らでもというのは出すぎたことを申し上げたてまつり、我が発言ながら遺憾の意に耐えぬ次第に候』

とか…


ここまで書いて、すでに《文章だけならいくらでもキャラクターがつくれる説》が崩壊しかけてるので、早々にこの説を取り下げて新しい説を上げてみる。


《文章だけでキャラクターをつくるのはかなり難しい、というかそれができるなら小説家になれる説》


これが文章じゃなくて絵なら画家かイラストレーター、絵と文章(セリフ)なら漫画家、スピーチなら政治家、演技なら役者、会社員なら幹部候補、日常生活全般ならハイスペックな生活者になれるのだろうか。


一貫した魅力のあるキャラクターがつくれたら、何かこう、何もかもがスマートかつ華麗に回り始めるように思える。


けだし、その中身ってなんぞやと思うと、あんまり一貫してない、いつ何がどう変わるか分からない、不安定で扱いにこまるかんじの何かなように思う。


現状、ロースペックな生活者としては、とりあえず洗濯をしたりして、一旦キャラクターうんぬんから離脱しようと思う。


しかしハイスペック界では皆どうやってキャラクターを保ってるのか、

仕組みが知りたい。たぶん言語化できないスポーティな仕組みなんじゃないかと(放鳥中のインコが指や充電ケーブルをかじりはじめたので中断